日記 〜こういうのでいいんだよ、こういうので〜

忙しくて家に帰ったらすぐ寝てしまう。更新が少なくて申し訳ない。

 

先日、作品の展示を終え、その後珍しく予定がなかったので欲しかった水彩絵具を買いに新宿世界堂に行った。

一応弊学にも世界堂はあるのだが、学生向けで低価格の国内メーカーをメインで、海外ブランドはあまり取り扱っていない。

私が欲しい水彩絵具はシュミンケというドイツのメーカーのものだ。シュミンケは水彩絵具メーカーの中でも特に高価で、5mlのチューブで一本1200円以上する。その代わり、数ある水彩絵具メーカーの中で一番筆で溶きやすい。画材の場合、値段の高さは質に比例することが多いので美大生は常に金欠だ(私立美大は財力に余裕のある家庭が多いせいかあまり金欠そうな学生は見たことはないが…)。私は昼食は自腹なのだが、蒸した鶏胸肉と冷凍のブロッコリー、4つで100円のダイソーブラックサンダーで耐えてる。前日自炊する気力がなかったら、構内のセブンでキャベツの千切り(100円)を買い、持参したブルドックソースをかけて食べている。制作の素材と美術館の入場料と本と交通費のために節約しなけけばならない…。ちなみ夕飯はしっかり食べるのでダイエットにはなっていない。

 

閑話休題、弊学の世界堂の次にアクセスしやすいのは、新宿か立川の世界堂だ。立川は自宅と逆方向なので新宿の世界堂に行くことにした。

大学に入学して、地味に痛いのは新宿が定期券外になったことだ。せっかく新宿まで一本で行けるのになんで片道136円も払わなきゃいけないの!?

高校に通っていた頃は新宿に行きまくっていた。一年の意味もなく病んでいた頃は都庁周りを徘徊し、新宿NSビルの大きな振り子時計を見ながら涙を流し、二年では紀伊國屋の本を立ち読みしていた。共テの前日は、推しがマルイとコラボするので新宿アネックスのポップアップストアに並んでいたりもした(クソ)。

新宿の残念なところは近くに美術館・博物館がないことと、歌舞伎町あたりが治安悪いことと、アドトラックが走り回っていることだ。美術館・博物館で駅から一番近いのは文化服装学院併設の文化学院服飾博物館で、次が東京オペラシティアートギャラリー、NTTインターコミュニケーションセンターかな。

新宿は献血ルームは充実しているし、本屋さんもあるし、良い町なのでは?

 

新宿南口から甲州街道沿いをしばらく歩くと、世界堂と赤の太字で書かれた、目を大きく見開いたモナリザが目印の大きな看板が見え始めた。しかし、重い荷物を背負いながら休むことなく新宿まで移動してきたのでかなり疲れた。IKEAの近くにファミマがあるから、何か買って少し休もう……。

 

話が変わるが、皆さんの好きなコンビニはどこだろうか?

全国ランキングでは1位がセブン、2位がファミマ、3位がローソンらしい。

私は1位ファミマ、2位ローソン、3位はセブンとNewDaysだ。

ファミマは美術予備校時代に大変お世話になった。このコンビニはヤマザキ以上パン屋未満のクオリティーをよく頑張っていると思う。客に少しリッチな体験を提供している。しかし、その裏は全然そんなことはなく、高級ホテルのスイートルームの夜景と思ったら窓ガラスから映る夜景はモニターだった、みたいな、「偽」の高級感である。

 

私はファミマで「香ばしいクッキーのクリームサンド(ラムレーズン)」を買った。

しっとりとしたクッキーの中にバタークリームとラム酒が香るレーズンが入っている。

レーズンといってもただの甘ったるい溶けたグミみたいな謎の物体だ。ただ、ラム酒が重要なのだ。

セブンにもレーズンサンドが売っているが、これはダメだ。香りが薄い。

ラム酒の香りを楽しむためにレーズンサンドを食べている。多分、ラム酒は飲めないから。

人がある程度満足するレベルをスーパーで買うより少し高いくらいの値段設定でうまく売っていてビジネスが上手いなぁとつくづく思う。こういうのでいいんだよ、こういうので。

 

世界堂でお目当ての水彩絵具を買う。ニュートラルチントという色だ。

 

ホラダム水彩絵具 782 ニュートラルチント (5ml) 【画材の通販は ...

①なので1200円くらいだったか…?(①②③④でグレード分けされていて、①が一番安い)

とてもいい色だ。私は水彩画を描く時、基本的にパレットで混色しないので、絵具がどんどん増える。鮮やかな色以外は混色で作れるが、面倒くさいし、同じ色をまた作れる保証がない。日本画学科の受験生は100色くらい持っているらしい。(日本画の入試は水彩で着色)

 

今週からデッサンが始まった。受験時代を思い出してちょっとトラウマ。

もう少しで夏休みか〜。一般大の夏休みは2ヶ月くらいあるって聞いたけど、ホント?

弊学は7月24日〜9月2日。代わりに春休みが3ヶ月くらいある。長すぎ、学費安くしろ。

日記 〜デザフェスと展示〜

土曜日にデザインフェスタ、略してデザフェスに、高校時代の友人と一緒に行った。

開演時刻に会場の東京ビッグサイトで友人と待ち合わせの予定だったが、友人が寝坊したとの連絡を受け、それに合わせて私もゆっくり向かった。

私の最寄りからはまず東京駅へ向かい、それから都営バスでビッグサイトへ…というルートが一番安い。友人から遅刻の連絡を受けたのは、ちょうど東京駅の中央線ホームに降り立った時だった。

丸の内南口からバス停に向かう。朝10時過ぎなのに観光客の数が多い。煉瓦造りの建物をバックに、記念撮影をしている。写真に映り込まないようにしゃがみながら足早にその場を去った。

ちょうど来たバスに乗り込むと、まもなく扉がしまり、針山のように連なる高層ビルの間を滑るように走り出す。駅近くの国際フォーラムで車窓越しに黒山の人だかりを見た。週末恒例の大江戸骨董市だ。遠い昔、祖母と一緒に訪れたが、こんな都心だったか。あの時買ったレースのテーブルクロスと伊万里焼風の小皿は今どこにあるんだろう。

 

停車するごとにバスの人口密度が上がっていき、銀座に入る頃には満員状態になっていた。東京駅始発のバスで座れて良かった。電車にしろ、バスにしろ、人に押しつぶされながら移動するというのは、肉体だけではなく精神も疲弊させる。

私は後方の席に座りながら、「メルロ・ポンティ『眼と精神』を読む」という本を読んでいた。

この本は弊学から出版されており、私が土曜一限にとっている、哲学Ⅰの先生が書いた本だ。

授業は深夜ラジオのようなノリで、前回提出した授業コメントに対し、先生がしゃべっていくのだが、そのコーナーに時間を割きすぎて肝心の授業がなかなか進まないのだった。(まぁ、授業コメントコーナーも面白いのだが)

 

武蔵野大学前という停留所に止まったとき、前にいた家族連れが、武蔵野大学美大だっけ?こんなところにあるんだぁ〜と話していた。

こんな海の近くに弊学は無い。どちらかというと林だと思いながら、ページに目を通していると、しばらくして、終点の東京ビックサイト前に着いた。

時間を確認すると10時45分。友人は12時ごろ到着予定ということだ。いきなり1時間ほどの暇を与えられたわけだが、デザフェスの開場待ちの人も多く、近くのカフェも満席だった。

そこで、ビッグサイトと反対方向のオフィスビルで時間を潰した。春休みに神戸の六甲アイランドに行ったときにも思ったが、なぜ海の近くの新開発地は皆、寂れるのか。六甲アイランドには全然人がいなかった。面積のせいかもしれないが体感、東大宮以上赤羽未満くらいだ。近未来的なデザインの建物が多い割に人口が少ないので、とても寂しい。海の近くだから錆もある。さびさび。

 

12時すぎ、友人と合流。いざ入場

まぁ人が多いし、人に対して通路が狭い。

私は前日に買いたいものは買ったので友人のショッピングを眺めることにした。

デザフェスはオリジナル作品のアートマーケット(しかし一番アクセサリーが多い)なので、オタクの好み丸出し作品が並んでいる。

スチームパンク、サイボーグ、SF、ケモノ、地雷、原宿系などなど—。

自キャラのコスプレをしている人もいた。みんな凝っている!すごいな…。

 

しかし、見ていて思ったのが、展示の難しさだ。

デザフェスは何百人もの作家が各自ブースを持っている。そしてこれは仕方ないことなのだが、似たような作品が他のブースにも売っているため、パッと見て奇抜さのないブースは素通りしてしまう。白いお花と金色の装飾がついているよくありがちなフェミニンなピアスなど五万と売っていて、あーこんな感じねーで完結しがちだ。ほとんどハンドメイドだろうから一点一点丁寧に制作しているだろうに、じっくり見(観)てもらえないのはあまりにも悲しい。

それと、首が疲れる!!!!!!!!

これに限る。おそらく支給されている折りたたみ式の長机では、作品を鑑賞するのに低すぎるし、スタイリッシュじゃない。出店者から作品が見えやすいのはいいが、展示するのに関しては向いていないだろう。来場者はみな歩きながら品定めをするので、低いと作品から距離が開いてしまう。実際、デパートのアクセサリー売り場なんかは商品が見やすいように工夫しているはずだ。私は一日中下を向きっぱなしで首が痛くなってしまった。

 

とまぁ、このように展示方法は大切だなぁと思いながらブースを練り歩いた。なにも自前の机を持ってくる必要性はなく、木箱などを机に置いて高さを出し、その上から布を被せてあげるだけで、見やすくなるだろう。

 

 

4時ごろに彼女のバイトの関係で別れた。

彼女はステッカーやポストカードを買って、ご満悦のようだ。それを見ているだけで良いな…と思えた時間だった。(それと、予備校の友達がいた!見事受かって藝大生)

 

私も5時ごろにビッグサイトを出た。歩き回ってへとへとだ。

行きと逆のルートで家に帰った。帰宅して夕飯を食べると、お風呂にも入らず寝てしまった……。疲れたが、いい1日だった。

 

 

更新が遅れた…。ただの日記だとつまらないので、これからは日常で触れた何かに対して思ったことを日記にして書いていこうと思う。ではまた。

 

1日目に買った、なんかの動物の犬歯ネックレス。おそらく肉食動物?

 

日記 〜長い〜

今日05/19に書いているが便宜上今日と呼ばせていただくはとても濃い一日で、文字数が多くなってしまった。特に考えたこともない(後にまとめてアップする)ので、私の生活に興味のある人だけそのままスクロールしてほしい。申し訳ない。

 

 

 

今日の一限は構成演習という授業だ。簡単に言えば、自分の考えを論理的に、説得力を持って伝えるスキルを育む授業だ。今回は、「論理的・批判的に考える」というのがテーマだ、3人ほどのグループを作り、プリントに載っている主張や事例に対してどう批判するかを考えた。

 

例えば、

『生のニンニクにはアリシンという成分が含まれている。アリシンは抗菌作用を持つが、正常な細胞も傷つけてしまうので、取りすぎると胃を荒らしてしまう。しかし、アリシンは加熱されると変化するので、加熱したニンニクには存在しない。だから、ニンニクを食べるときには焼いて食べれば胃を荒らすことはない。』と主張する人の主張の根拠を崩すには何が必要か?

などだ。

一旦、読者の方にも考えてみてほしい。

 

答えは

「アリシンが変化した物質が抗菌作用を持たないとは限らないし、胃を荒らす物質がアリシンの他に存在しないとも限らない」だ。

このような問題が10問ほどあった。

私達のグループはかなり苦戦して、全て正解するのに1時間近くかかった。私はニンニク問題に最初、「焼いたニンニクは食べすぎてないから比較しようがない」と回答し、違う!と教授に即答された。

 

二限目は空きコマだが、どうせ暇なので日本美術各論という授業に潜ってる。私自体20世紀の日本の洋画家、日本画家に関しては、横山大観東山魁夷川端龍子岡本太郎くらいしか知らないため、とても勉強になる。今日は香月泰男という画家について習った。彼は太平洋戦争で兵隊として満州へ行き、終戦後シベリヤに抑留された。その体験が作品全体の主題となっているらしい。〈顔〉がどうしても描けなかった(とはいっても東京美術学校—現在の東京藝大—卒)が、戦争と抑留がテーマの「シベリヤシリーズ」を制作するためにそれ抜きでは進められないと感じ、克服するために10年もの歳月がかかったらしい……。

 

 

お昼を挟んで三・四限。必修だ。昨日に引き続き石のドローイング。……てか、しばらくずっとそうだと思う。二日で一枚のペースで描かなければいけない。

ひとまず一枚目完成。

ドローイング
紙にクレヨン、水彩、アクリル、鉛筆

細部

細部

作品のコンセプトはあまり考えず、手の動くままに描いた。

二枚目は何を(で)描こう。とりあえず気分転換も兼ねて、またゴミ捨て場に行った。

弊学のゴミ捨て場は前述の通り、いろいろな物が捨てられている。なので、分別がとても大変だ。廃石膏置き場、廃油・現像液処理タンクetc……。単純にビン缶、燃えるゴミ、燃えないゴミでは分けきれない。

そこで用務員のおじさん(おばさん)だ!!!めんどくさいゴミの分別を手伝ってくれる。

今日行ったら学生にアクセサリーを半ば強引にあげてた。私はピアス?と「これ、フリーだから、親指から小指まで全部イケる」らしいピンクの指輪をもらった。ありがとうございます。

……どこから持ってきたんだ。

おじさんからもらったピアス?と指輪
奥に支持体にする予定の板

その後ゴミ捨て場から50×50センチくらいの分厚い板を拾い、アトリエに戻った。拾った板にジェッソを塗ったり、水彩でクロッキーしてたら四限が終わった。

 

先日、私は院生のインタビューのボランティアに参加した。どうすれば弊学科を高校生に知ってもらえるかという内容で、新入生の我々にどうやって弊学科を知ったのか、入学を決めた理由など、この学科に入るまでの経緯をインタビューされたのだ。

その発表を聞きに鷹の台から市ヶ谷(弊学科の三、四年生と院生は市ヶ谷キャンパスにいる)に行った。

そこでの内容は大学の今後の企画になるかもしれないので割愛させていただく。

 

 

帰宅したのは十時半くらいだった気がする。どっと疲れが押し寄せる。

夕飯を食べ、疲れを癒やしていたら、製図の課題が今日締め切りだったのを思い出した……。

23時59分に提出(わざとではない、本当にギリギリだったのだ)したら、遅れ扱いになった。え、24時締め切りにしろよ???許せない。

 

 

 

ここまで付き合ってくれた方、ありがとうございます。明日の放課後は久しぶりに空いているので、次回は考えたことについて書こうと思う。ではまた。

 

日記 〜無理な時は無理〜

また、日記と言ってただ出来事をつらつらと書き連ねるのでは読者の方にも味気ないと思うので、何かしら面白いことができないかと模索中………。

 

 

 

今日は昨日の日記で書いたようにゴミ捨て場に板を漁りに行った。

しかし、良い板がなかった。木の屑を集めたような合板は見つけた。9割9分の人がわからないような例をだすと、クリスチャン・マークレーが版画で使っているやつだ。今調べたらパーティクルボードというらしい。表面が凸凹しているので、もし下地にジェッソ(アクリルや油の地塗り剤)を塗るとしてもクレヨンに適しているとは言えないだろう。

クリスチャン・マークレーの版画作品。パーティクルボードで版を作ることによって木材の破片の柄も画面に現れる。(https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/christian_marclay_motから引用)

今日の必修は先生がアトリエに来なかった。准教が出席だけ取るとあとは自由に制作。この授業は誰かに教わるというより、各々が自分で考えて手を動かして制作してみよう!という内容のため、先生がいなくても別に問題ないのである。美術予備校でも講師が最初から最後まで生徒のデッサンを見ていることは少ない。講師がいるのはモチーフの運搬、説明、時々デッサンの途中経過の観察と終わりの講評の時だけだ。前述の通り、弊学科に美術予備校に通った経験を持つ者はほぼいないので先生来ないね〜と不思議そうにしている学生が多かった。

 

デッサンをやっていた時の習慣で少し描いては離れて、全体を確認するという作業を頻繁にやってしまいがちだ。この行為がドローイングに良いのか悪いのかは知らないが、周囲の人にめちゃめちゃ頑張っているねと言われてしまった。違うんだ、これは癖なんだ……!

明日講評なので今日中に終わらせなければいけない。せっかくだからアクリルも使おうと大小さまざまなチューブを40本ほど、はるばる家から1時間半かけて持ってきたはいいものの、アクリルに触るのが久しぶりすぎて感覚を忘れてしまった。これは…終わるのか……?違う。終わりのないのが終わり。それが「ゴールド・E・レクイエム」

 

私は手を動かしながら考えるタイプで、今日は無理だなと感じるとそれ以降はどうしても無理なのだ。今日はその「無理だな」と思ったタイミングがちょうど四限終わりだった。筆を洗って、早々に帰る支度をした——。

 

 

本当に今日は特になにも深く考えたことはないので、私が持っているコスメで思ったことをほんの少し書いて終わりにしよう。

 

excelのクリームオンフィットシャドウのGF06、ワイングラスについてだ。普通のスティックアイシャドウなのだが、このGF06の色が軽い傷の治った跡の色にそっくりだ。18時間仕上がりテスト済みと謳うだけあって、全然落ちない。試し塗りで腕に塗って2日経っても色が残っている。色が薄くなると今度は内出血の色に似ている。

血色が良く見えるように化粧をするのに、傷跡や内出血の色に似ていていいのだろうか。いや、それがある意味「血色が良い」のかもしれない。また、傷が膿まずに治っているのなら、なにより健康な証拠だ。ヘルシーメイクだ。

なんだかんだ言って私も使っている。これから汗ばむ季節に良いのではないだろうか。

 

 

 

先に言っておくが、日記と言っても、毎日必ず更新するつもりはない。考えたことがなかったり、つまんなかったり、疲れていたら書かない。また、日記と並行して考えていることをぼちぼちまとめようと思う。あと、おすすめの本や映画をコメントやDMで教えてください。図書館で借ります。ではまた。

日記 〜ダンサー・イン・ザ・ダーク、のちに制作〜

今日は二限目が休講だったので、弊学のシアタールームで『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観た。

 

ネタバレ注意かも。

鬱映画、胸糞映画として名前だけ知っていたが、あらすじなど何も知らない。

観終えた感想、決して鬱、胸糞ではなく、ただただ演出が素晴らしいなと思った。

主人公の妄想シーンと現実世界との色彩の豊かさのギャップが良い。舞台は1960年前半のアメリカだろうか?(車のデザインやカラーテレビが普及していない、黒人がほぼ出てこない、主人公の社会主義賛美→プラハの春以前?などから)

主人公が『ミュージカルでは、なにも恐ろしい事は起きないわ』と語るが、この映画はその『なにも恐ろしい事は起きない』ミュージカルでありながら、皮肉にも主人公の死で舞台は幕を閉じる。それ以外にも「ミュージカルは苦手だ。急に人は歌ったり、踊ったりしない」のセリフの時点で、この作品が言わんとすることは感じられる。

『ミュージカル作品』の中で我々が持っているある種のユートピア的な固定観念が崩される、見事な作品である。

また、単純に女優・俳優の迫真の演技もあり、感動、やるせなさで泣きそうになってしまった。

 

感傷に浸っていたら、三限目に遅れそうになった。

三・四限の必修は、アトリエに運ばれた「石(といっても一人で押してもびくともしないほど大きく重い)」をテーマに表現するという課題だ。

私はクレヨンと水彩でドローイングをしている。他はアクリルと油絵の具で描いている学生が多い。弊学科はデッサンを学ばずに入学したど素人の生徒が多いため、これが美大!これがアートやろ!といったふうに好き勝手やっている人が多い印象。私は「自己の表現に客観的フィルターをかけて面白おかしく茶化す」のが苦手なので、そのような人を冷めた目で見ている……。(本人は真面目かもしれないが……すみません)

明日はゴミ捨て場にいい板がないか、探そうと思う。美大のゴミ捨て場は大きな水槽やら、自転車やら、テレビやら、普通の大学にはないようなゴミがそこらじゅうに転がっており、自由に持って帰って良い(大学は黙認)。面白いものがあれば書きます。

 

ガチのつまらん日記になってしまった。ではまた。

 

 

思ったこと 〜美の術〜

日記といっても「日」の出来事を記せるか自信がないので長めのツイートといったノリで書いていこうと思う。

 

私はしがない美術大学の学生—俗に言う美大生なのだが、最近思うことがある。

「美」術、「美」大、「美」大生………

今の立場ではどうしても「美」という言葉が日常生活に付きまとう。

「美」という漢字をググると、

外形がりっぱできれい。うつくしい。

内容がりっぱ。みごと。よい。

よしとする。ほめる。よみする。

哲学で、感性と理性との調和統一に対する純粋な感情を起こすもの。

など出てくる。ルッキズムが蔓延っているこの時代で、「美」という言葉は自分にはいささか負担が大きく感じる。

そもそも美術という概念は明治時代に海外から輸入されてきたもので、それまで日本には「工芸」しかなかった。(ここら辺の話は北澤憲昭『眼の神殿』によく書いてあるので、興味あればぜひ読んでみてください)

そんな感じで、毎日校名が刻まれた壁を見ると、そっかぁ美かぁと自分でもなぜこの大学に入学したのか不思議な感覚になるのだった。

 

美というとても抽象的で主観的なものを扱う上で、こうすればいい感じになるというテンプレのようなものはやっぱりあって、そこを踏まえていかに個性を発揮できるかが鍵な気がする。個性という言葉で印象に残っているのは、入学式での学長の言葉だ。アーカイブが残っていないのであやふやだが、確か「個性とは一人で作り上げるものではなく、皆が磨いていく課程で自然に生まれてくるものだ」といった話だ。これは弊学が大学という共同体であり、「真に人間的自由に達するような美術教育」「教養を有する美術家養成」を教育理念に掲げているからだと思われる。

また一般的に美術と聞くと、「個性」「自分らしさ」が重要視されるように思われがち(岡本太郎のせいで)だが、最近は個性とは作品のスパイスのようなものだと思っている。緻密に練られたコンセプトの上に、一振りの個性、わからなさを加えることで作品が完成するような気がする。

単純明快なものは残らない。世界七不思議が現在も語り継がれているように、人間は難解で、摩訶不思議なものに惹かれ、少し見ただけでは理解できないものだけが結果的に残っていくのだ………。謎に満ちた世界……。

 

これまで長々と書いてきたが、要するに「美」の「術」はなんなんだろうという話だ。名画紹介のTwitterbotにこれ俺でも描けるwwwとリプで言われるような絵は一般的に美しいのだろうか。合田誠は?大竹伸朗は?……、、、術?作品のコンセプト?手練手管?

私は今、美術という名目の中で「守ってもらって」制作をしている。しかし、SNSを見るとその定義はあってないようなもので、「よくわからないけどなんか変」なものはアートやら芸術的やらいろいろな感想が飛び交っている。美術の枠組がただでさえ拡張しつつある現状で、私はもはやこの枠に守ってもらえるのだろうか。

(そこで重要になってくるのは美術史の系譜を意識する、ということだろう……)

 

 

ここまで書いたはいいものの、まだ知識や経験が足りなさすぎる。かなしい。

次回は直近の出来事を書いてみようと思う。ではまた。